2016年に[SUBU]がこの世に誕生して、早くも5年が経ちました。
この節目の年に、新しく[SUBU25(スブトゥーゴー)]なる企画がスタートする、とお聞きして、その生みの親であり、ブランドディレクターである府川俊彦さんに、お話をお伺いしました。前編では、これまでの「5年間」について。そして後編では、これからの「5年間」について、しっかり、たっぷりとお話いただきました。それでは、どうぞ、お楽しみください。
早速ですが、これまでの「5年間」を、どのように認識されていますか?
お陰さまで5年間、という気持ちで、いっぱいです。当時5年前に、この[SUBU]を開発した時点では、冬のサンダル、と呼ばれるものは無かったんですね。でも、いまマーケットを客観的に見てみると、当時とは大きく異なる景色が拡がっているな、と思っています。それを見ると、少しは成長できたかな、と。でも実は、振り返ってみると、何が大変だったのかな、って思ってしまうのが、正直なところです。
そもそも、なぜ[SUBU]をつくろうと思いましたか?何か、きっかけがありましたか?
当時、僕は25歳くらいで、[Vegie Bag]というカバンをつくってて、ちょっとレディースっぽい感じだったんですね。なので、簡単に言うと次は、メンズっぽいものをつくりたいな、という思いがありました。
当時はよく、[Vegie Bag]の仕事をしながら、中国の工場に行っていて。そこである時、近くの縫製工場に連れていってもらったんです、隣にあるから、と言われて。もちろん、その工場に[SUBU]みたいなものがあるわけでは無かったんです。ホントに皆さんが想像する所謂、スリッパをつくっていて。そこで縫製するところを見て、パッと閃いたって感じです。どうしよう、といのは無かったんですけど、この感じで、外に行けたら良いよなって思ったんです。
夜、友だちと急遽会うことになって、シャワー浴びた後なのに、靴下を履いて、スニーカーを履くのは嫌だし、裸足でスニーカーを履くのはもっと嫌、笑。あとは、寒いのも。もちろん、その時は[SUBU]みたいな名前は無かったですけど、そんなことは深層心理で思っていました。なので、その瞬間に、誰も知らない冬のサンダル、という言葉はビビビッと、浮かびました。自分が欲しかったから。
その時は、サンダルを作りたいと思って、行った訳では無かったんですか?
そうですね、全然思っていなかったですね。出張の中で、一日時間があいたから、行ってみる?みたいな感じでした。ホントに、そんなノリで。そこから、試作を重ねていって、計8工場くらいに試作をお願いしたんですけど、結局全部駄目で、最初に見学に行ったこの工場と、いまでもお付き合いしています。
そこからは順調に、進みましたか?
いや、最初は、言うことを聞いてくれないんですよ。言うことを聞いてくれない、という言い方は悪いんですけど、来年はこの数にするから、再来年はこの数にするから、とはっきり言いながら、お願いをして進めていきました。笑ってましたけどね、最初は。
でも、その約束通りの足数を、発注することが出来て、お付き合いを始めて3年目くらいから、工場さんも変わってきましたね。こいつ、マジだ!みたいな感じになって、笑。実は、工場もそこそこ大きくて、ヨーロッパなどとも取引されているんですけど、いまでは冬は、うちだけにしてくれているんです。お互いにいい関係が築けています。
こういう工場とのコミュニケーションって、難しいけど、とても大切ですよね?
そうですね。肝かもしれないですね。もちろん、いろいろ経験されている方に、アドバイスをいただいたことはあったんですけど、基本的に、工場には独りで行くので、叩き上げで、学びましたね。
これは[SUBU]に限らず、個人的な裏テーマなんですけど、あ、中国製か、で終わってしまうことって未だにあって・・・それ、僕はすごく悔しいんです。だから、それを覆したいんですよね。彼らは、世界で一番モノをつくっていて、いろいろな品質に触れているんです。すごく頑張っているし、僕は技術的にも高い、と思っています。なのでいま、僕がつくっている[SUBU]を通じて、そこを少しずつでも覆して行けたらいいな、と思っています。
なので、工場の方と話すときも素直に、まだまだ中国製だからダメって言われることもあるんだよ、とお話をさせていただくようにしています。そして、それは何故なのかって話を、頻繁にしていますね。だからいまでは、そういった共通目標を持って、一緒にお仕事をさせていただいています。
それに、僕が知る限り、ファクトリーブランドを持たない工場って、何をつくっているのか、それがどこに売られているのかって皆、興味が無いんですよね。それらを、工場で働く人たちが、知る由も無い。なのでその感覚がわからなくて、知ろうとしないから、なめられちゃうっていうことを、しっかりと伝えるようにはしています。口癖のように。
全員ではないですけど、日本にも来てもらって、売り場を見てもらったり。中国の工場で、工員さんに集ってもらって、売り場の写真をプロジェクタで写して、皆に見てもらったりして。そういう時間は、ホントに楽しいというか、幸せですね。
ここで少し機能面のお話を聞かせてください。特に、大切にしたことは何ですか?
まずは、4層のインソールですね。これが心臓だと思っています。公表はしていないんですけど、実は毎年毎年変わっているんです。密度を変えたり、ミリ単位でアップデートしていて、ここは一生完成しないだろうなって思っています。
3年目くらいまでは、とにかくここでしたね。1年目は、毎晩毎晩これを入れ替えたり、削ったりして、足を入れた瞬間の理想的な履き心地を、探していました。その積み重ねで一旦、現状に至っています。ここについては、工員さんなどにも足を入れてもらって、感想を聞いたりもしています。
ちなみに、[SUBU]のサイズ2は、世界で一番、僕の足に合うようにつくられています。サンプルもすべて、このサイズ2でつくるようにしているんです。なのでまずは、サイズ2を完成させる感じですね。
では年々、履き心地が良くなっている、ということですか?
あ、なってます、それは、なってます、確実に。
今後もそれは続いていきますし、この先の5年間も、そこは、お楽しみにしていただければな、と思っています。個人的には、クッション性とかではなく、履いたこと無い感じを、追求しています。もう少し分かりやすく言うと、包み込まれる感じですかね。なかなか無い感覚だと思うので、履いた時に感動してもらえたら、といつも思っています。
では、デザイン面については、何か大切にしたことはありますか?
あります、あります。何か、スポーティーで、近未来的で、アウトドアな感じで、いきたかったんです。単純に暖かければいいのであれば、表面はナイロンではなく、スエードとか、フリースとかで良かった、と思うんですけどね。ロゴも、動きながらでも、視認性がいいフォントを選んだりしているんです。
フォルムついては、そんなに悩まなかったです。自然と、頭の中に浮かんできました。なんとなく、視覚的な「温かさ」みたいなものは大切にしているので、ちょっとダウンっぽくしたり、丸っこい感じにしたり、その辺りは意識をしていますね。でも、ホントに数分で、パパっと見えた感じです。
いまお話しいただいた点を追い求める中で、特に、難しかったことはありますか?
とにかく、つくるのが難しくて・・・
実は、アッパーとソールをくっつけるのが、大変なんです。さっき話した通り、インソールが4層になっているので、くっつける前は相当高さがあるんです。それを、抑えながら、接着ではなく、縫製をしていかなきゃいけないので、そこがとても難しい。
実は、浮かしながら、縫っていくんです。普通は、ミシンみたいに下に置いて、縫うのが一般的なんですけどね。履き心地を追求した結果、そこに難しさが生じましたね。いまでも、難しい、と言われますね。
元々、そういう技術を持っていたんですか?
いや、持ってないです。いまお付き合いしている工場は、こういうものはつくったことが無かったので、工員さんたちに、頑張って、覚えてもらいましたね。そういう意味では、工員さんの技術力も上がって、上手になった、とは思います。ホントに、二人三脚です。
いろいろな裏話をお聞きしましたが、相当エネルギーが必要になりますよね
でも、ここまで続けてこられたのには、何か理由がありますか?なかなか出来ることではないと思います。
そうですね、一番は、こういう環境を与えてもらってること、ですかね。言うまでもないですけどね。
あとは、「悩む前に、やっちゃえ!」みたいな気持ちが強いですね。この[SUBU]もそうですし、他のものをつくるときもそうですけど、事前に周りの人に相談して、というのは、ほぼしてないですね。よく考えたら、昔からそうだったかもしれないですね。
じっくり考えることは、とても大切です。これは人によって違うと思うんですけど僕は、電車に乗っている時に、よく仕事のことを考えます。そこで色々なアイデアを練ったり。
でも、いくら考えてもそれを、「実行」出来なければ意味がないですよね。相談をする前に、自分で手を動かして「行動」してみる。そこで、自分なりに小さな失敗を重ねながら、その後「実行」する。僕は、そういう進め方ですね。その積み重ねで。でも最近は、ちゃんと相談できるようにもなってきました、笑。僕自身も[SUBU]と一緒に、成長しています。
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